願いが叶うまでのプロセスを楽しめないなら、
願いなんて持たない方がいいと思う。
本日は ◆話題の小説系
ミステリーの書き方 日本推理作家協会
¥ 1,890 幻冬舎 (2010/12)
なぜこんな本を読んだのか、自分でもわからないんです。だって
あたし、普段からミステリーなんて、そう読まないんですもの。
もちろん書く予定なんかもぜんぜんないわ。刑事さん、私の中の
虫が騒いだんです。たるんだ腹の中にいる、活字中毒の、虫。
手にとって、面白かったから読んでしまった。まるで光におびき
寄せられる虫のように。ハッ、わかったわ。私、虫なのね、虫並
みの脳みそしかないということなのねサヨウナラ刑事さん…。
と、まあ、崖から身投げしてもいいくらい、不思議なチョイスだ
と自分でも思う。でも面白かった。だからいい。
現代日本を代表するミステリー作家137人が、創作に対する思い
を語っている。
テーマはそれぞれにある。プロットの立て方だとか、キャラク
ターの描き方だとか。文体についての意見もある。しかし私の印
象としては「好き勝手しゃべってるなあ」という思いが強い。
皆書くことが好きで、こだわりを持っていらっしゃる。そのこだ
わりを、余すところなく語りつくしたのが本書と言っても過言で
はないだろう。二段組、480ページ。圧巻。
例のごとく独断と偏見で、コメントを取り上げてみる。
・冒険小説の取材の仕方 船戸与一
ストーリィもプロットも決めずに現場へ行く。写真も撮らない。
メモも不要。書くときも、完全に物語を決めて書き始めるわけで
はない。
取材の旅で出会った人たちをデフォルメした登場人物が、こうし
てくれと語りかけてくる。
・ブスの視点と気持ちから 岩井志麻子
世の中には四種類の人間がいる。1、人から好意を向けられてい
て、気づく人。2、気づかない人。3、人から好意を向けられて
いないことを、気づく人。4、気づかない人。
小説家に向いているのは3のタイプの人ではないか。
・書き出しで読者をつかめ 伊坂幸太郎
アマチュア時代に書いた文を例として。冒頭で読者を驚かせるこ
とに腐心した。本屋にずらりと並ぶ本の中で、自分の本を手に
とってもらえる工夫がしたかった。誰かに届けたいという思いが
ある。
・手がかりの埋め方 赤川次郎
ミステリーを書いて一番苦労するのは、トリックや、どんでん返
しを考えることではなく、手がかりをいかにして、読者の目につ
かないように、かつ記憶の隅にとどまっているように書き入れる
のか、ということ。
本当に、どの作家さんもプロットにも、トリックにも、文章にも
思い入れを持っていらっしゃる。「!」や「?」、「…」の使い
方にも、それぞれの個性があった。ミステリーファンなら読んで
損なし、の一冊。
トリックについての解説、綾辻行人さんのは、私にはよくわから
んかったけど、マニアックで面白い雰囲気はビシバシ伝わってき
たよ。
では最後に、帯に書かれている、東野圭吾さんの名言を。
「どうやって作品を生み出しているのか。一言で言えば、苦労し
て、です」
だよなあ! みなさま、楽しい作品をありがとうございます!
本日は ◆世間話、時事ネタ系
日本映画空振り大三振 柳下 毅一郎 江戸木純 クマちゃん
¥ 1,575 洋泉社 (2010/6/2)
毒舌映画評論。昨年末に公開された「ゴースト」が入っていない
のが惜しい。(同年6月の発行だから、仕方ないんだけど)
柳下氏、江戸木氏はともに映画評論家。クマちゃんとは、謎の着
ぐるみ人物(?)なのだそうだけど、映画をよくご存知の方のよ
うだ。
お三方とも知識豊富な語りなので、面白いだけでなく、勉強にな
ることも多かった。
・釣りキチ三平
田舎で釣りばかりしている三平くんを、香椎由宇演じる姉が連れ
戻しにやってくる。しかし姉は釣りの面白さに目覚め……。
と、言ってみれば「釣りキチ由宇」というべき映画だった。自然
の光景も魚もすべてCG。原作の生き生きとした様子が伝わって
こない。
魚紳さんはトラウマを抱えた変態みたいだし、三平くんはやたら
と「キャッチ&リリース」を強調するし、エコやら何やら小細工
が多かった。
釣りの楽しみを描ききった原作の楽しさを、素直に表現するだけ
ではいけなかったのか?
・アマルフィ 女神の報酬
日本人の少女が誘拐されるサスペンス映画、のはず。
だが基本的には観光地ばかりをめぐる旅になっている。誘拐犯が
なぜか、なぜなのか、取引場所に観光地を指定してくるせいだ。
世界遺産の土地もあるので、当然アクションシーンは撮れず。
アマルフィの土地自体も、最後に空撮でちょろっと流されるだけ。
誘拐犯の目的もよくわからなくて、主演の織田裕二さんに諭され
てあっさりと犯行を中止してしまう。七年かけた計画なのに、
「殺して何になる?」と言われて「わかったよ」と納得。そんな
素直な犯罪者、いるか!
しかしよくわからんな。原作を読んだけれど、それなりに面白い
話だったと思う。原作者が脚本も書いたはずだったけど……。
と、思っているとこんなことが書かれていた。
「この映画には脚本家のクレジットがない。原作者が脚本も書い
たのだが、現地の撮影状況から原作どおりにいかなかったことも
あり、原作者が(名前を載せるのを)辞退した」
ぐだぐだですやん。
・剣岳 点の記
明治のお話だ。陸軍測量部と、山岳会の人間が競い合いながら剣
岳初登頂を目指すという物語。
映像がすごい。「CGを使わない」というのが監督の信念であっ
たので、雪山の迫力ある映像が楽しめる。また、物語も実に真面
目で、人が死んだり、滑落があったり、わざとらしい見せ場は作
られていない。
しかしそれがもったいないとも言える。映像ありき、物語の筋が
弱く感じられてしまう。
実はこの映画、高山が撮影現場であったため、誰も脚本を持って
来ていなかったのだそうだ。荷物を極限まで軽く。役者さんも、
監督さんも、誰一人脚本を見ずに撮影が進んだ。ドキュメンタ
リーと言うのがいっそ正しいかもしれない。
ただクライマックスの、登頂の場面がなかったのが残念。寒すぎ
て機材も凍ったか?
槍玉に上がる映画は全部で46本。GOEMON、ルーキーズ、蟹工船、
真夏のオリオン、いろいろ、たくさん。
昴。超酷評だったけど、かえって観たくなった映画だ。バレエ映
画であるらしいんだけど、それがストリップ・バレエという珍妙
なものなんだそうだ。
主人公が目隠しをして町を歩き、踊りの練習とする場面もある。
一昔前の少年漫画みたいな特訓が行われるとのことだ。すごいな
あ。いい大人が真面目にそんな映像を撮っているなんて。
本も映画も、ご興味のある方はぜひ。
日本映画空振り大三振 ~くたばれ!ROOKIES (映画秘宝COLLECTION 41)
本日は ◆世間話、時事ネタ系
正しい日本語は本当に"正しい"の? みんなでニホンGO!
オフィシャルブック
¥ 1,365 祥伝社 (2010/7/27)
NHK「みんなでニホンGO!」制作班著
NHKのテレビ番組をそのまま本にしたものらしい。アマゾンのレ
ビューでは、そのことに関しての苦言が呈されているが、見てい
ない私にとってはとても面白い内容のものだった。
取り上げられていた言葉遣いが、私自身、気になっていたものば
かりだったからだ。
別に目くじら立ててどうのこうのと言うつもりはないが、なんと
なく違和感を感じる言葉遣い。そんなものが多かったので、例の
ごとくへえへえふうんとうなずきながら読み進めることができた。
言葉遣いの変化=悪という考え方はされていない。言葉は移り変
わるものという前提で、その経緯を理解し、新しいものも受け入
れましょうというスタンスだった。好感触。
面白いネタがたくさんあった。
「人」は実は、人間が横を向いた姿をかたどった象形文字である。
支え合って人というのは間違いだった。〜っしょ、というのは北
海道弁。うざったいとはもともと八王子近辺の方言であったのだ
が、大学が郊外に移転するに従って、若者に話されるようになっ
た、などなど。
では、私が選ぶ「気になる大賞」を、本書解説の中から選んでご
紹介してみたいと思います。ちなみに「大賞」は二つあるのです
が、その辺は曖昧に笑ってごまかすつもりです。ご理解ください。
・させていただく。
最近では「やらさせていただく」「名乗らさせていただく」など、
余分なところに「さ」を入れて話す人が増えた。
(本来は「やらせていただく」「名乗らせていただく」)
過剰矯正と言われるものだ。緊張のあまり、丁寧に喋ろうと力む
あまりに、文法を超えた表現になっている。
しかしこの言葉を使う政治家が増えている。国会会議録検索シス
テムという、国会議員の発言を記録したデータベースで調べると、
90年以降この「さ入れ」言葉が急増しているとわかる。
政治家の言葉は社会の変化を表す鏡。今後はこの「さ入れ」言葉
が常識になると考えられる。
ちなみにこの「させていただく」は、近江商人が使い始めた言葉
だ。他人に感謝し、おかげさまの精神を表す商人言葉だった。
・ヤバイ
江戸時代にできた「ヤバ」という言葉が語源になっている。牢屋
のこと。危ないという意味で、使う人はごく少数だった。
しかし近年、ヤバイはプラスの意味で使われている。このラーメ
ン、ヤバイ、と言えば、若者はそれがおいしい、うまいと受け取
るはずだ。
マイナスからプラスへ。「ヤバイ」は進化、成長する語である。
似たような例は各国に見られる。スペイン、モンストロとは化物
の意味であった。だが最近ではフラメンコがうまい人、ギターを
弾くのが上手な人がこう称される。
韓国ではチョギンダ。もともとは殺すという意味だったが、殺人
的においしい、楽しい、という意味に。
古くは英語のナイスもそうで、ナイスの語源はラテン語のネスキ
ウスだった。愚かという意味である。それが変化し、今ではよい
意味合いでしか使われることがない。
こう見ていくと、人の考えなんて似たり寄ったりで、面白いと思
うな。
テレビの内容を、本当にそのまま本にしたものらしい。出演者の
船越栄一郎さん、山崎弘也さん、松本あゆ美さんらのトークが楽
しく文字に起こされている。気楽に読めることうけあい。
以前読んだ「日本人の知らない日本語」でも、言葉は変化するも
のだと書かれていた。
「前向きに」理解して、受け入れていきたいな。
正しい日本語は本当に“正しい”の? みんなでニホンGO!オフィシャルブック
本日は ◆生活、ほっこり系
クスリごはん─おいしく食べて体に効く! ¥ 1,155
ヘルシーライフファミリー リベラル社 (2010/08)
漫画、イラストで紹介する体によい食べ物、レシピ。おばあちゃ
んの知恵という感じ。病院に行くことももちろん、とても大切だ
けれど、こういう日々の心がけも大切にしたい。
登場人物は主婦のケロミさん、夫のヒロさん、元気なお姑さん、
小さな女の子ブーリンと、その弟ダイちゃん。にゃんこ先生とい
う猫もいて、人間の食べ物を虎視眈々と狙っています。
ごく一般的な家族が経験する体のトラブルと、その解決法を漫画
で紹介するというやり方。絵がかわいいので楽しく読める。
・ブーリンが風邪をひいた。
おばあちゃんが冷蔵庫を探す。出てきたのは大根と蜂蜜。大根を
1センチ角に切り、蜂蜜につけて咳止めシロップの代わりに。一
晩つけるとさらに効果的です。
かるい鼻づまりにはごま油を。綿棒につけて鼻腔につけてやると
よい。ねぎと豚肉の炒め物、玉ねぎ入りのスクランブルエッグな
どもいいよ。
・ヒロさん激務で疲労困憊。
肩こりにはグレープフルーツ。クエン酸がよい。その意味では梅
もとりたい食品だ。山芋にあえたり、豚肉のソテーの味付けにす
ると食べやすい。
豚肉のソテーは、フライパンで焼いた豚肉にみりんを混ぜた梅肉
を乗せ、オーブントースターで軽くあぶって作る。
ストレスにはくるみトースト。食パンの上にスライスチーズと刻
んだくるみを乗せて焼く。
不眠にはホット豆乳ミルクを。温めた豆乳に蜂蜜を混ぜるのがコ
ツ。チーズも効果的なので、茹でた人参にたらこ、チーズ、ごま
をまぜたものをあえるのもおいしい。
・ご馳走を食べて胃がもたれた。
カブおろしが口にやさしい。大根おろしとは違って辛味がないか
ら子供でも食べられる。レモンをしぼって、うどんに乗せても
さっぱりといただける。しらすを混ぜるのもあり。
お通じが悪くなったときは、小豆やごぼうをたくさん取ろう。ご
ぼうと人参の煮物、さつまいもと小豆の煮物など。
バナナラッシーはおいしく飲める。バナナ、ヨーグルト、牛乳、
蜂蜜をミキサーでかき混ぜる。おやつにもいいかも。
口内炎にはナスとトマトのラタトゥイユ、腰痛にはニラ玉、メタ
ボが気になるなら小豆ご飯、痔にはほうれん草炒め、食中毒には
シソジュース、下痢には蜂蜜緑茶、貧血には梅こぶ茶。
実家では、冬になるとオカンが必ず大根の蜂蜜漬けを作っていた。
咳をすると、汁をお湯で割ったものを飲まされていた。
これで完治というものではもちろんないよね。それはわかってる。
だけど知っていたら、気をつけて取りたいなと思うものが多かっ
た。
民間療法、先にも書いたけどおばあちゃんの知恵みたいなものな
んだよね。高価で難しい本だったら遠慮したいけど、親しみやす
く、お値段も手ごろ。これなら手元に一冊備えておいてもいいか
なあ、と思える本だった。
症状ごとに分類がされていてわかりやすい、探しやすい。凝った
レシピではないので、体が弱っているときでも作るのが楽。あり
がたい。
お正月のご馳走疲れの体には、大変優しく、役に立つ一冊。
幼児期、主人公が母から凄惨な折檻を何度も受ける描写が激しすぎて、
衝撃を持って受け留められた作品。
この作品を読んで考えるに、二つの見方がある。
著者自身の実体験を赤裸々に描いたものなのか、純粋に創作なのかだ。
相当リアルな描写が理不尽なほど続き、その細かい描写は想像力を超え
た迫真性がある。
現実にあった話って意外と「?」となる行動や展開が多く、もっと感動
作品に仕上げる事も出来ただろうに、敢えて突き放したような動きに
なっているのはこのためじゃないだろうか。
本作での結末はどちらにも受け留められるような、母と娘の関係がどう
なったか、否、どうにもならなかったような、幾通りにも想像できる
不思議な結末。
いずれにせよ、強烈な印象が残る力作だと感じた。
あらすじ
太平洋戦争末期。
仙台大空襲で家も親兄弟も失った裕輔は、特攻隊帰りの彰太と出会い、
「いつか仙台駅前のX橋に大きな虹を掛けよう」と誓い合う。
生きるための毎日はつらいことも多かったが、親切な「徳さん」と出会っ
たことによって少しずつ生活の基盤を確かなものにすることができた。
しかしある日・・。
戦後の混乱期に、無一文から逞しく生き抜く若者たちの群像を描く。
コメント
血迷うたか熊谷達也!と言いたくなるほどのバッドエンド。
登場人物の誰もが素敵で、散々っぱら共感と感情移入をさせておいて、
最後に奈落へ突き落とされた。
熊谷氏が優れた作家であることは疑いないが、本作の「第5章」だけは
断じて許せない。
私が独裁者だったら強権を発動して書き直しを要求するところだ。
丁寧に作られたケーキを足元に叩きつけるような、精魂込めて描かれた
絵画にペンキをぶっ掛けるような実も蓋もない結末で、読後感は最悪
だった。
現実が厳しいのはよく分かっているが、だからこそ小説の世界では美し
い結末を求めたかった。
熊谷氏は何が言いたくてこの小説を書いたのだろうか。
ひょっとすると、第4章を書き終えたところでヨメに逃げられたとか人
に騙されたとか、熊谷氏がウツ状態になるような何かが起こったのかな、
とすら考えてしまう。
途中までは非常に気持ちよく読み進められただけに残念無念だった。
小説のレベルとしてはもっと上だが、そういうことで怒りの3点。
0点→途中リタイア。読むことが苦痛。出会ったことが不幸。意味が分からない。
1点→なんとか最後まで読んだが、時間のムダだった。つまらない。
2点→可もなく不可もなし。ヒマつぶしにはなったかなというレベル。
3点→難点もあるがおおむね満足。この作者なら他の作品も読んでみたい。
4点→傑作。十分に楽しんで読めた。出会えてよかった一冊。他人にもすすめたい。
5点→最高。とにかく良かった。人生の宝物となる一冊。
※ 小数点は、上記点数の間であるとご理解下さい。
題名に、著者の思いが籠められている、それが全て。
クラシック音楽界とレコードCDを詰まらなくさせてしまった最大要因は
カラヤンであり、彼をギュウギュウに締め上げる事に徹している。
一方、大好きなクレンペラーとケーゲルの音楽に各一章を割き、対比させ
る事で均整を取ろうとしているが、既に結論は決まっているので鼻白んで
しまう。
ちなみに、私もケーゲル旋風を浴びた世代で、許光俊の名文でケーゲルに
出会ったクラヲタは多いだろう。
だからこそ、彼が言いたい事、現代クラシック界を嘆く心意気は判るが、
こうまでカラヤン独りを貶めると戴けない。
カラヤンだけでなく、小澤征爾、レヴァイン、プレヴィン、ビシュコフ、
シャイーといった高収入を得ているが面白みに欠ける有名指揮者はゴマン
といる。
カラヤンと似たような路線を歩き、華やかな音響とハーモニーを重視した
才能の無い後継者たちを手付かずでは、腰が引けていると感じてしまう。
カラヤン批判は免罪符がばら撒かれた現代、その後継者も批判する勇気が
欲しい。
私はクレンペラーを聴かないので語れないが、ケーゲルなら多くを聴いて
いる。
だからこそと言おうか、彼のケーゲル感想とはあまり一致点がなく、ケー
ゲル大好き同士なはずなのに、こうも受け留め方が違うのが違和感だらけ。
それゆえ彼のカラヤン批評はあまり共感できず、「カラヤンがクラシック
を殺した」というお題目には否を唱えないけれど、各論には不満と苦笑の
連続だった。
大仰な形容詞やドイツ現代美術を基礎とした比喩が多く、煙に巻く酔い痴
れた文体も気に喰わない。
ただ寝覚めが悪いのは、著者は2009年50歳にも満たずに急死している事。
死んだばかりの人に対して、率直な感想を述べるのは酷いのだろうが、
820円も出して本書を購入したのだから、本音を少しだけ書きたかった。
副題:チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む
第八回開高健ノンフィクション賞受賞作
著者の角幡唯介は、早稲田大学探検部出身。
本書の内容は、ずばり「探検」です。
いまどき珍しいくらいの、直球で探検です。
探検とは言っても、そもそも、グーグルアースが砂漠の真ん中だろうがどこだろ
うがクリックひとつでPCに映し出してくれる時代、探検にふさわしい場所がこの
地球上に残されているのだろうか?
角幡も、まず大学時代にまずそこで躓いた。
「世界の可能性を拓け」という挑発的なあおり文句が書かれた探検部のビラに、
人生に対する渇望感を満たしてくれそうな期待を抱いた。
入部し、いつか訪れる本格的な探検に備えて登山に明け暮れたが、問題は、どこ
を探検すればいいのかわからないということだった。
欲求不満を募らせた大学四年時、角旗はたまたまツアンポー川の探検の歴史を
書いた本と出合う。
ツアンポー川はチベット高原を横断しインドへ流れ込む、長さ2900キロに及ぶ
アジア有数の大河である。チベット高原を西から東へ流れた後、ヒマラヤ山脈
の東端の二つの大きな山に挟まされた峡谷で流れを大きく南に旋回させる。
18世紀から19世紀にかけて、この川がヒマラヤ山中に消えたあと、どこに流れ
るのかまったくの謎だった。インドに流れ込むというのも当時はまだわかって
いなかった。
19世紀後半から20世紀にかけて、伝説的な何人かの探検の結果、ツアンポー
峡谷で未踏破の区間はわずか五マイル、約八キロにすぎなくなった。
ファイブ・マイルズ・ギャップ。
空白の五マイル。
この美しい響きの言葉がツアンポー峡谷にロマンを与えた。
角幡もまた、この五マイルに魅せられた。
2002年。探検家を夢見て就職せずにいた角幡は、二十六歳にして就職が決まった。
入社するまでの半年ほどの時間を利用し、ツアンポーを目指した。
今しかない、と思った。
> 挑戦しないままこの後の人生を過ごしても、いつか後悔する。今考えると、そ
> んなヒロイックな気持ちが当時の私にはたしかにあった。自分でも死ぬかもし
> れないと思う冒険をなぜおこなうのか、その心境を言葉で説明することはとて
> も難しい。人はなぜ冒険をするのだろう。私はなぜひとりでツアンポー峡谷に
> 行かなければならないのだろう。(21頁)
死にそうな目に遭いながらも、角幡はこの探検で空白の五マイルのほとんどの踏
破に成功した。自分の目で確認できなかったのは、距離にして合計わずか二キロ
かそこらにすぎない。
この成果に概ね満足して、帰国した角幡は、朝日新聞社に入社した。
しかし新聞記者を続けるうちに、再びツアンポーへの思いがじわじわと重みを増
してくる。もっと深いところでツアンポー峡谷を理解したい。もっと奥深くへ行
って、どっぷり漬かりたい。もっと逃げ場がない旅がしてみたい。
ついには退職し、再びツアンポーへと向かう。
ところがタイミング悪く、2008年北京五輪とダライ・ラマがチベットに亡命して
五十年目というタイミングに当たり、チベットでは大規模な抗議暴動が起きた。
外国人のチベット入域は極端に制限され、角幡は無許可でツアンポーに向かうこ
とに。
とまあ、ツアンポー探検の歴史と、角幡自身のツアンポー行とが語られ、にわか
ツアンポー博士になれます(笑)。
会社を辞めて無許可で向かったツアンポーでは、またまた死の危険と隣り合わせ。
読みながらぞっとするような危機を迎えます。
この本が出てるんだから、ここで死んだんじゃないよな、生還したんだよな、と
思いながらも読んでてどきどきしましたよ。
そんな「これぞ探検!」な探検記。
これからの時代、こんなオーソドックスな探検記はどんどん珍しくなっていくん
でしょうね。
だからこそ、この本が新鮮なのです。
大学卒業後就職した会社を三ヶ月でやめてしまった誠治。その後だらだらとバイトで食いつなぐ毎日。父親とも険悪な関係に。
しかし、母親のうつ病をきっかけに一念発起して再就職。父親と協力して母親のために家を買う。
ドラマにもなった話題作。おもしろかったですよ。
これであなたも読書通!話題の本をほぼ日刊でご紹介
☆−−−☆−−−☆−−−☆−−−☆−−−☆−−−☆−−−☆
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本日は ◆話題の小説系
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歌うクジラ 下 村上 龍
¥ 1,680 講談社 (2010/10/21)
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棲み分けがなされていたのだった。格差が広がり、不要の争いが
生まれたが、棲み分けがなされると、社会は平和になった。
不老の遺伝子、SW遺伝子を組み込まれた富裕層の人々と、労働者
階級に属する人たちは、互いに別々の地域に住み接触を持たない。
貧しい人々は裕福な暮らしを知らないため、そこに悩みも妬みも
持つ必要がなかった。
アキラたちが訪れた労働者階級の町は「羊バス」と呼ばれていた。
その背後にある山を越えると、向こうは富裕層の住む地域だ。ア
ンジョウに導かれ、アキラ、アン、サブロウは未知の領域へと足
を踏み入れる。
金属の円盤の隙間から入り込んだそこは、人工的に無菌状態に置
かれた区域だった。実験だったのだという。
だが無菌状態で人が生きていけるわけもなく、そこに入れられた
大半の人が死んだ。生き残ったわずかな者が、水耕栽培で稲を
作って暮らしている。富裕層のための食べ物だ。
この社会では性犯罪が大きな問題となっている。下層階級は精神
安定剤でコントロールされており、平穏であるが、上層の人たち
の間ではその犯罪が耐えなかった。むしろエスカレートするばか
りだ。
無菌空間をさらに奥に進むと、性的欲求を覚えただけで全身が痛
むICチップを埋め込まれた男たちがいた。そこでは裸の女が見世
物としてさらされ、しかし男たちは触れることができない。
アキラはその場所で、アンを犯したい衝動に駆られる。彼は必死
で「想像」した。アンを犯して殺せば自分の旅はここで終わりに
なるだろう。具体的に未来を予見し、そうしてはいけないのだと
自らの衝動を押さえ込む。
欲望に打ち勝ったアキラのもとへ、サツキという老女が現れる。
かつてアキラを性的玩具として買ったことがある女だ。
彼女の案内で、アキラは一人上層の人たちが住む地域を進む。
動物として、原始に戻ることで理想社会を築こうとした人々の集
団を見た。病気になった老人たちが集められる洞窟にも入った。
老人の介護をしているのはロボットだ。ロボットの手で消毒され、
排泄を処理され、ただ生きているだけの姿にアキラは衝撃を受ける。
アキラの目的は、富裕層の男、ヨシマツに会うということだ。彼
に会うため、アキラは宇宙エレベーターに乗って地球の外へ出た。
選ばれた者たちは宇宙空間で暮らしていた。とうとう、目的の男、
ヨシマツに会ったアキラはこの世界の謎を知らされることとなる。
ヨシマツはSW遺伝子を持っている。人類の支配者と呼ぶべき人物
である。ヨシマツはかつて、性犯罪がはびこる社会を正すために
科学の力を用い、重大な損失を社会に招いた。
命を生む営みを、ヨシマツたちは制御しようとしたのだ。だがそ
れは失敗に終わり、女たちは子を宿すことがなくなった。
ヨシマツは命の誕生を、科学の手が及ばなかった下層階級の女た
ちに託そうとする。彼女らに自分たちの子供を生ませようとした。
アキラはそのような経緯で生まれた子であるという。ここまで来
るよう仕向けたのもヨシマツである。生まれた地から離れ、困難
を乗り越え、ヨシマツにたどり着くよう仕組まれていたと言うの
だ。
ヨシマツがそれを欲した理由。それはヨシマツがアキラの命を
乗っ取ろうとしたためだった。ヨシマツはもはや、体を失い脳し
か生きていない。ヨシマツの脳との同化を迫られたアキラは……。
管理社会と個、希望と絶望、暴力とセックス。村上龍さんらしい
物語だった。文章も濃く、緻密で体力勝負って感じで、ほんと、
堪能させていただいた。ありがたい、幸せだわ。
「恐怖は逃げれば逃げるほど追いかけてくる。向かい合えば自然
に消える」なんて、いつもの龍さん哲学も満載。お好きな方はぜ
ひどうぞ。
ただちょっと描写はグロテスクなので(私は気にならなかったけ
ど)、その辺は一応覚悟なさっておいてください。
間違っても、あのオシャレエコなカバーデザインにだまされて、
「クジラ? かわいくね? スピリチュアルっぽい話じゃね?」
なんて、安易な気持ちでは触れないように。
悶絶卒倒間違いなし! いろんな意味で危険です。