2010年12月12日日曜日

双雲からの言霊

■今日の武田双雲からの言霊

何もない平和な日が、

かけがえのない一日だと常に思える人でありたい。


今日も一日味わいつくしましょう。

週刊 お奨め本 第424号『パンとペン』

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週刊 お奨め本
2010年12月12日発行 第424号
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『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』 黒岩比佐子
¥2,400+税 講談社 2010/10/7発行
ISBN978-4-06-216447-4
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11月に逝去したノンフィクション作家・黒岩比佐子氏の、最後の著作。
副題の通り、堺利彦と「売文社」がテーマ。


堺利彦は、日本の社会主義運動の先駆者、思想家、啓蒙家。
のみならず。
社会主義者で投獄された第一号、女性解放運動に取り組んだフェミニスト、海外
文学の紹介者で翻訳の名手、言文一致体の推進者、平易明快巧妙な文章の達人、
憲兵隊に命を狙われた男。Etc…


発行人は不勉強で、日本の社会主義史をよく知らないんですけど、太平洋戦争以
前の日本が社会主義者にとってつらい時代であったことくらいは、そりゃわかる。

日露戦争開戦の前年、堺利彦と幸徳秋水は平民社を創設し、週間『平民新聞』を
発行して戦時下に反戦運動を続けた。
平和という理想に燃えた平民社時代は、当時の主義者達にとって美しい時代だっ
た。その後、赤旗事件、大逆事件が起き、幸徳秋水は死刑。
堺利彦をはじめとする社会主義者たちにとって、その後の明治末期から大正期の
売文社時代は、暗闇のなかで息をひそめ、迫害のなかですごした苦闘の時期だった。

著者・黒岩比佐子は、その冬の時代、売文社に焦点を当てて、堺利彦の人物像を
描き出す。

冬の時代から暗黒時代へと向かう時代の中で、堺利彦は「売文社」で、仲間たち
に生活の糧を与えた。
売文社は、現在の「編集プロダクション」の先駆的なもので、おそらく日本初の
「外国語翻訳会社」であった。

実際に取り扱った仕事の一覧を見ると、写真説明文の英訳、雅号の選定、商標考
案、広告文英訳、新刊雑誌発行趣意書、新刊雑誌発行の辞、雑誌原稿、カタログ
編集及び意匠、英文及び独文書簡、演説草案起稿、某氏自伝談話筆記及び編集、
等々。
新刊雑誌の趣意書に発行の辞って、そんなもの発行者が書かなくてどーすんの、
という気もするが。
他に大学卒論やら赤ん坊の命名、絶縁状に金の無心、自殺しようとする男の遺言
の草稿まで引き受けたとのことで、本当になんでもあり。

堺利彦、多才である。
もちろん堺ひとりでそのすべての仕事をこなしたわけではないが、注文が立て込
んできたときの堺の「早業と芸当は並大抵ではなかった」という。「万人向きと
いふあんな調法の人はちょっと見つかるまい」。


堺利彦は、自分ひとりが生きるだけなら、売文社を必要とはしなかった。
名文家で知られ、高名な作家たちとの交友も多かった堺には原稿の依頼もあった。
就職口を奪われ、糊口を凌ぐ術を持たない仲間たちに仕事を与えるためにこそ、
売文社は必要だった。


作家の尾崎士郎は、売文社をモデルとした小説のなかで、堺利彦を大石内蔵助に
喩えている。「仮名手本忠臣蔵」で主君の仇討ちを狙う大石内蔵助が、周囲を欺
くために遊蕩三昧の日々を送るように、堺も官憲の目を欺きながら、時期の到来
を待とうとしたのだと。


1917年、堺は売文社を社会主義運動と完全に切り離す、と表明した。
顧客が社会主義とのかかわりを怖れて依頼をためらうようではビジネスに差し障
りが出る。社員にきちんと給料を支払うためにも、売文社の経営を成り立たせる
必要があったのだ。

> 理想を追うためには、どうしても金銭が必要になる。その金銭を得るために何
> か手段を講じるのは当然で、座して死を待つべきではない。誤解を招くことも
> 怖れず、批判を受けることも承知の上で、堺はこの時期に売文社の大拡張を推
> 進していった。(318頁)


ユーモアと筆の力を武器に、冬の時代を生きた。
幸徳秋水のようなカリスマ性はなく、刑死せず畳の上で病死したことで軽視され
る向きもあるが、堺利彦の存在が日本の社会主義に与えた影響は大きい。

勉強になったうえに、堺利彦がとにかく魅力的で、読んでて楽しかった!
硬い本だと敬遠しないで、まあいちど手にとってみてくださいませ。



『パンとペン』 黒岩比佐子