2010年12月27日月曜日

本のご紹介です。スリー・カップス・オブ・ティー

☆−−−☆−−−☆−−−☆−−−☆−−−☆−−−☆−−−☆

これであなたも読書通!話題の本をほぼ日刊でご紹介

☆−−−☆−−−☆−−−☆−−−☆−−−☆−−−☆−−−☆


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

本日は ◆話題の小説系

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

スリー・カップス・オブ・ティー  グレッグ・モーテンソン
¥ 1,995  サンクチュアリパプリッシング(2010/3/25)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

1993年、アメリカ人のグレッグ・モーテンソンはK2の登頂に失敗、
下山途中に山道に迷い、パキスタンの小さな村にたどり着いた。

グレッグは父の仕事の都合でアフリカで育った。妹は難病をわず
らっており、その影響もあって、成人した彼は看護師の資格を手
にしていた。

パキスタンの小さな村、コルフェ村で彼は村人に治療を授ける。
村人と心通じ合った彼は、村に学校がないことに愕然とする。小
さな子供たちが、霜の降りた地面に座り、そこに木切れで字を書
いていた。いたいけな姿が妹に重なって見えた。

「僕が学校を建てます」。彼はこう宣言して村を去った。

アメリカに戻り、グレッグは著名人に宛てた手紙を書き始めた。
500通余り出したがうまくいかず、行き詰ったところでヘルニ博士
という人の名前を知らされた。

ヘルニ博士はマイクロチップを開発した科学者である。同時に登
山家であった。気難しい人物だったが、支援を引き出すことに成
効。寄付された120万ドルを持って、グレッグは再びパキスタンへ。

ここから、私は少し笑ってしまった。グレッグは徒手空拳、何も
知らず、何も持たない。学校を建てるための資材を発注し、山道
を運ぶのだが、そのどたばたぶりと手際の悪さにははらはらさせ
られっぱなしだった。

なんとか、コルフェ村にたどり着いたグレッグ。しかし村人は、
学校よりも橋が必要なのだと彼に話した。コルフェ村と下の町を
つなぐのは一本のケーブルだけなのだ。これでは資材を運ぶこと
もできないと、グレッグは改めて己の計画の甘さを思い知る。

何も得ないままアメリカに戻ったグレッグは、ヘルニ博士に泣き
ついた。失敗したこと、ついでに、アメリカに待たせていた彼女
にもふられてしまったこと。ヘルニ博士は橋のための金を出した。

老齢の博士には死期が近づいていた。口の悪い老人だが、子供た
ちのための学校ができるのを、彼は心底心待ちにしていたのだ。
早く建てて写真を持って来いとグレッグをせかす。

博士の助力で橋ができ、学校の建設にも取りかかった。この頃、
グレッグは新しい恋をしていた。今度は結婚にまでこぎつけ、工
事を済ませてアメリカに帰りたかった。博士の容態も気になる。

急ぐ彼に村の長老が言った。「私たちのやり方も尊重してくださ
れ。よその人が来たとき、私たちはお茶を出してともに飲む。最
初の一杯目はよそ者。次の二杯目はお客、三杯目で家族となる。
その時間を大切にしてくだされ」

欧米のやり方がすべて正しいわけではない。村には村の文化と歴
史があるのだ。その中に入り込まなければ真の理解など得られる
べくもない。グレッグはそのことを知った。

イスラムの掟厳しい山間の村だ。あるとき、アメリカ人の学校が
建てられるときいて、有力者が妨害に訪れた。逆らって建てるの
ならば、羊を十二頭差し出せと無茶を言う。羊は家族であり、大
切な財産だ。

村人は泣いたが、長は言った。「悲しむことはない。彼らは一時
の食料を手に入れたかも知れんが、我々の子供たちには学校が残
る。字が読めるようになる。そのためなら何を犠牲にしても惜し
くはない」

コルフェ村に学校が建ち、グレッグは博士の支援を受けて、ほか
の村にも学校を建てようとした。親たちはこぞって学校を求めた。

貧しいのは教育がないせいだと言う。狂信的なイスラム信者にな
るのは、まともな教育が受けられないせいだと言う。テロの温床
とは実は、教育を受けられない貧困の中にあった。

誘拐されたり、資金援助にかけずりまわったり、アメリカでテロ
リスト扱いされたり、グレッグは大奮闘。やがて8年が経ち、パ
キスタンにいたグレッグに重大なニュースがもたらされた。

「アメリカの、ニューヨークという村が爆撃された」

それがイスラム教徒の行いであると知り、グレッグの友人たちは
皆心を痛める。イスラム教徒の名に値しないと、憤慨する者ばか
りだった。

あるとき、夫を亡くした女性たちがグレッグのもとへやって来た。
貴重な、生みたての卵を手に手に持って。彼女らは言った。

「ニューヨーク村で夫を亡くした女性たちに届けてください。私
たちからのお悔やみのしるしとして」


もうここで大号泣だった。たんぱく資源の乏しい村だ。羊が一頭
解体されると、人々は祭り気分でむしゃぶりつく。大切な卵を、
同じ悲しみを味わったアメリカ人に渡してくれとパキスタンの貧
者の村が泣くのだ。傍目にこっけいなところがまた、いじらしさ
と感動をそそる。

アメリカが国を挙げて憎み、敵と定めたイスラムの女が心を痛め
ている。敵であるはずのアメリカ人のために。戦争とは何なのか、
考えさせられる場面だった。

また、教育の大切さにも、改めて思いを深めることができた。

今年を締めくくるにはふさわしい一冊と言える。

あとがきがまた最高にいい。素晴らしい「オチ」になっている。
そやな、そやなと非常に納得できた。確かに私も、グレッグ先生
は素晴らしいと思うけれど、親しく付き合っていける自信はない。
(ごめんよ、グレッグ)

最後でさっぱり笑えるのもよかった。

スリー・カップス・オブ・ティー  グレッグ・モーテンソン