2011年1月9日日曜日

第343冊 宮下誠「カラヤンがクラシックを殺した」

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  乱読! ドクショ突撃隊♪    第 343 冊
              
                       2011.1.9
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【1】読書感想 (第343冊)
  
宮下誠  「カラヤンがクラシックを殺した」  光文社新書

題名に、著者の思いが籠められている、それが全て。

クラシック音楽界とレコードCDを詰まらなくさせてしまった最大要因は
カラヤンであり、彼をギュウギュウに締め上げる事に徹している。
一方、大好きなクレンペラーとケーゲルの音楽に各一章を割き、対比させ
る事で均整を取ろうとしているが、既に結論は決まっているので鼻白んで
しまう。

ちなみに、私もケーゲル旋風を浴びた世代で、許光俊の名文でケーゲルに
出会ったクラヲタは多いだろう。
だからこそ、彼が言いたい事、現代クラシック界を嘆く心意気は判るが、
こうまでカラヤン独りを貶めると戴けない。
カラヤンだけでなく、小澤征爾、レヴァイン、プレヴィン、ビシュコフ、
シャイーといった高収入を得ているが面白みに欠ける有名指揮者はゴマン
といる。
カラヤンと似たような路線を歩き、華やかな音響とハーモニーを重視した
才能の無い後継者たちを手付かずでは、腰が引けていると感じてしまう。
カラヤン批判は免罪符がばら撒かれた現代、その後継者も批判する勇気が
欲しい。

私はクレンペラーを聴かないので語れないが、ケーゲルなら多くを聴いて
いる。
だからこそと言おうか、彼のケーゲル感想とはあまり一致点がなく、ケー
ゲル大好き同士なはずなのに、こうも受け留め方が違うのが違和感だらけ。
それゆえ彼のカラヤン批評はあまり共感できず、「カラヤンがクラシック
を殺した」というお題目には否を唱えないけれど、各論には不満と苦笑の
連続だった。
大仰な形容詞やドイツ現代美術を基礎とした比喩が多く、煙に巻く酔い痴
れた文体も気に喰わない。

ただ寝覚めが悪いのは、著者は2009年50歳にも満たずに急死している事。
死んだばかりの人に対して、率直な感想を述べるのは酷いのだろうが、
820円も出して本書を購入したのだから、本音を少しだけ書きたかった。

双雲からの言霊

■今日の武田双雲からの言霊

この世には、

自分にしかできないことが

もっともっとあるはずだ。


今日も一日味わいつくしましょう。

週刊 お奨め本 第428号『空白の五マイル』

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週刊 お奨め本
2011年1月9日発行 第428号
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『空白の五マイル』 角幡唯介
¥1,600+税 集英社 2010/11/22発行
ISBN978-4-08-781470-5
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副題:チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む
第八回開高健ノンフィクション賞受賞作


著者の角幡唯介は、早稲田大学探検部出身。
本書の内容は、ずばり「探検」です。
いまどき珍しいくらいの、直球で探検です。


探検とは言っても、そもそも、グーグルアースが砂漠の真ん中だろうがどこだろ
うがクリックひとつでPCに映し出してくれる時代、探検にふさわしい場所がこの
地球上に残されているのだろうか?
角幡も、まず大学時代にまずそこで躓いた。

「世界の可能性を拓け」という挑発的なあおり文句が書かれた探検部のビラに、
人生に対する渇望感を満たしてくれそうな期待を抱いた。
入部し、いつか訪れる本格的な探検に備えて登山に明け暮れたが、問題は、どこ
を探検すればいいのかわからないということだった。


欲求不満を募らせた大学四年時、角旗はたまたまツアンポー川の探検の歴史を
書いた本と出合う。
ツアンポー川はチベット高原を横断しインドへ流れ込む、長さ2900キロに及ぶ
アジア有数の大河である。チベット高原を西から東へ流れた後、ヒマラヤ山脈
の東端の二つの大きな山に挟まされた峡谷で流れを大きく南に旋回させる。
18世紀から19世紀にかけて、この川がヒマラヤ山中に消えたあと、どこに流れ
るのかまったくの謎だった。インドに流れ込むというのも当時はまだわかって
いなかった。

19世紀後半から20世紀にかけて、伝説的な何人かの探検の結果、ツアンポー
峡谷で未踏破の区間はわずか五マイル、約八キロにすぎなくなった。


ファイブ・マイルズ・ギャップ。
空白の五マイル。
この美しい響きの言葉がツアンポー峡谷にロマンを与えた。


角幡もまた、この五マイルに魅せられた。

2002年。探検家を夢見て就職せずにいた角幡は、二十六歳にして就職が決まった。
入社するまでの半年ほどの時間を利用し、ツアンポーを目指した。
今しかない、と思った。


> 挑戦しないままこの後の人生を過ごしても、いつか後悔する。今考えると、そ
> んなヒロイックな気持ちが当時の私にはたしかにあった。自分でも死ぬかもし
> れないと思う冒険をなぜおこなうのか、その心境を言葉で説明することはとて
> も難しい。人はなぜ冒険をするのだろう。私はなぜひとりでツアンポー峡谷に
> 行かなければならないのだろう。(21頁)


死にそうな目に遭いながらも、角幡はこの探検で空白の五マイルのほとんどの踏
破に成功した。自分の目で確認できなかったのは、距離にして合計わずか二キロ
かそこらにすぎない。
この成果に概ね満足して、帰国した角幡は、朝日新聞社に入社した。

しかし新聞記者を続けるうちに、再びツアンポーへの思いがじわじわと重みを増
してくる。もっと深いところでツアンポー峡谷を理解したい。もっと奥深くへ行
って、どっぷり漬かりたい。もっと逃げ場がない旅がしてみたい。
ついには退職し、再びツアンポーへと向かう。


ところがタイミング悪く、2008年北京五輪とダライ・ラマがチベットに亡命して
五十年目というタイミングに当たり、チベットでは大規模な抗議暴動が起きた。
外国人のチベット入域は極端に制限され、角幡は無許可でツアンポーに向かうこ
とに。


とまあ、ツアンポー探検の歴史と、角幡自身のツアンポー行とが語られ、にわか
ツアンポー博士になれます(笑)。
会社を辞めて無許可で向かったツアンポーでは、またまた死の危険と隣り合わせ。
読みながらぞっとするような危機を迎えます。
この本が出てるんだから、ここで死んだんじゃないよな、生還したんだよな、と
思いながらも読んでてどきどきしましたよ。


そんな「これぞ探検!」な探検記。
これからの時代、こんなオーソドックスな探検記はどんどん珍しくなっていくん
でしょうね。
だからこそ、この本が新鮮なのです。


『空白の五マイル』 角幡唯介