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本日は ◆たまには教養系
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奇跡の脳 ジル・ボルト テイラー
¥ 1,785 新潮社 (2009/02)
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そんなこんなで、今週一押しの一冊。
ジルは神経解剖学者として、輝かしいキャリアを積んでいた。研
究は順調だったし、精神病患者の団体、全米NAMIの最年少理事に
も選ばれた。彼女の熱心な働きが認められたのだ。
彼女が脳に興味を抱いたのは、兄が分裂症にかかったためである。
同じ母から生まれたのに。不思議に思ったジルは、まだ新しい分
野だった、脳の研究に没頭していた。
この本は、脳の専門家であるジル・ボルト・テイラー博士が脳卒
中をわずらい、回復するまでのノンフィクションである。
卒中になった瞬間から、その回復の過程までを、専門家らしい冷
静な筆致で記している。これがものすごく面白い。自分の内側、
まさに脳の中で起きていることを、他人事みたいに眺めているの
だ。
それでいてユーモラスなのもいい。一人称で語られる、話し言葉
なので読みやすい。違うと怒られるかもしれないが、この知性的
な女性が卒中にかかった場面の記述などは、「アルジャーノンに
花束を」に似ていると思った。
その場面を、かいつまんでご紹介してみたい。卒中患者はこのよ
うな経験をするのかと、驚かされるばかりだった。
午前七時。目覚めたジルは目の裏側がきーんと痛むのに気づいた。
かき氷を食べたあとみたいに。次に、何かから切り離されてゆく
感覚を覚えた。心と体がばらばらになる感じ。
シャワーを浴びようとして、水道の蛇口をひねった。すると耳を
つんざくような騒音が聞こえた。いつも聞いている水の音なのに。
このとき、入ってくる音(聴覚情報)を処理する機能が、脳の中
で失われていることに気づいた。重大な異変が起きているとわ
かった。
彼女はこの後、助けを呼ぼうとするが、それが簡単にできなかっ
た。「たすけをよぶ」、このことはわかる。だが思考が安定せず、
集中できない。
左脳に出血があったせいだ。言語や、数字、記憶を並べる機能が
失われていた。「情報が入ったファイルの前に並んでいる。だが
そのファイルを開けるやり方を、すべて失ってしまった」ような
感覚があるのだそうだ。
「でんわ」と浮かぶが、それがどんなものだったかわからない。
「しょくば」に電話をかけようと思うが、電話番号が思い出せな
い。やっとつながっても、内線の番号を答えられず戸惑う。
普段何気なくしていることでも、脳がどれだけ働いているか、わ
かったような気がする。ものすごく複雑なことを、脳はやり遂げ
ているんだな。
しかし卒中になった朝は、奇妙な安らぎにも満たされていたのだ
そうだ。言語中枢が没したので、時間の概念、数字も失われ、感
覚だけの世界に漂うことができた。涅槃の世界、と著者は表現さ
えしている。
卒中の患者は「馬鹿なけもの」ではなく「傷ついた人間」である。
わかっているから、優しく話しかけてほしい。
また、脳は回復すると断言できる。彼女自身、周りの助けを借り
ながら、本書が執筆できるまでに回復した。その間八年。
(この間の不思議な脳の働き、考察については、読まなきゃソン
と大声で言いたくなるほど。すごい、神秘的)
私たちの脳は、「中で小さい子供がいくつかのグループに分かれ
て、めいめいに遊んでいる状態」なのだという。
一箇所が損なわれても「そこにいた子供たちが、別の健康な場所
に移り、また目一杯活動を始めようとする」。損なわれた働きを、
代替する動きが行われるということのようだ。
脳って神秘的。平々凡々の自分ではあるけど、立って歩いて会話
をして、本を読んで料理を作って、それだけのことが大変立派に
思えてくる。誇らしい。
人間の可能性、素晴らしさってやつを信じられる一冊。大迫力!