謙虚さは、
控え目とか、遠慮とかじゃなくて、
夢に向かって前に進んでいる者だけが、
自然と身につけるもの。
今日も一日味わいつくしましょう。
そしてTVも劇場版もご覧になってない方へ。
つまりこの本を読む前の私の状態の方へ。
たぶん、そういう方たちがほとんどだと思います。
ヤノマミって何? という方たちに、読んでいただきたい。
私たちが知らない世界が、ここにある。
と、思い入れを縷々語らせていただいた上で、本書の紹介に入ります。
まず、「ヤノマミ」とはなんなのか、から。
> <ヤノマミ>とは、彼らの言葉で「人間」という意味だ。彼らはブラジルとベ
> ネズエラに跨る深い森に生きる南米の先住民で、人口は推定二万五千人から三
> 万人。「文明化」が著しい先住民にあって、原初から続く伝統や風習を保つ極
> めて稀な部族だった。(18頁)
奥アマゾンの熱帯雨林で一万年にわたって独自の文化と風習を守り続ける人々、
ヤノマミ。
今ではマサイ族も携帯電話を持つ時代。今年1月9日のメルマガ『空白の五マイル』
でも、村人が携帯電話を持っていてすぐに当局に通報される仕組みになっていた。
そんな現代にあって、ほとんど地球に残る最後の、古代からの風習を守る民族と
いえよう。
三十人から二百人がひとつの集団を作り、二百以上の集落に分散するヤノマミ族
の、<ワトリキ>という名の集落に、取材陣は同居した。ワトリキとは「風の地」
という意味。ワトリキにはいつも風が吹いていた。
ワトリキには167人が暮らしていた。
シャボノという巨大なドーナツ状の家で、家族ごとに囲炉裏を持つ。囲炉裏のあ
いだに仕切りはなく、プライバシーはまったくない。
彼ら取材陣は<ナプ>と呼ばれた。ヤノマミ語を理解できない彼らにも、その言
葉だけは聞き取れた。
> <ナプ>とは「ヤノマミ以外の人間」、あるいは「人間以下の者」をさすヤノ
> マミの言葉で、敵意と差別が込められた最大級の蔑称だった。[…]
> どんな言語でも侮蔑の言葉は語感が禍々しい。だからなのか、ヤノマミの言葉
> を殆ど知らなかった僕らでも、ナプという言葉だけは聞き取ることができた。
> やはり、差別される方は直感的にわかるものなのだ。(40頁)
文明を不必要に持ち込まないよう、持参した食料は少なかった。
客人扱いだった最初のうちは分けてもらえた食料も、一週間を過ぎた頃から減っ
ていった。みるみるうちに体重が落ち、立ちくらみを起こした。
石鹸をナイフで小さく切り、物々交換で野ネズミやカピバラなどを手に入れて、
焼いて食べた。
できるだけ、彼らと同じものを食べようと思ったのだ。
祭りのために猿を狩る。
バクを狩る。
胎児は食べない。森に置き、土に還す。
ヤノマミのしきたりでは、人が死ぬと、死者にまつわるすべてのものを燃やす。
そして忘れる。死者の名前を決して口にしない。
ヤノマミの女は森で赤ん坊を産む。
産まれた子どもはまだ人間ではない。母親が抱き上げて初めて人間になる。それ
までは精霊なのだという。
母親は、子どもを人間として迎え入れるのか、精霊のまま天に返すのかを決めね
ばならない。
母親一人だけで決める。理由は身内にも語らない。もちろんナプには語らない。
母親以外の者はその決断に従う。
国分は、そして菅井カメラマンは、少女が出産する場面に立ち会った。
少女は産んだ子を天に返すことを選んだ。
バナナの葉に包み、白蟻の巣に納める。
たぶん、このとき、国分のなにかが、がすこし壊れた。
ワトリキのシャボリ・バタ(偉大なるシャーマン)の歩み、ヤノマミ族の歴史、
直面している危機、保護区見直しの動き、文明化の波、etc…
語られるべきはあまりに多い。
> 「あなたたちはしっかりと広めて欲しい。自分の家に帰って家族に話して欲し
> い。ナプが来る前、ヤノマミは幸せだったと。ナプが病気を持ってきて、私の
> 父も母も祖父も祖母も叔父も叔母もみんな死んでしまった。私は一人ぼっちに
> なった。[…]今、ワトリキにいる者は生き残った者たちだ。とても苦しい思い
> をしてきた者たちだ。忘れないで欲しい。[…]」(257頁)
取材班は、2007年11月から2008年12月まで、四回に分けて合計150日間をヤノマ
ミ族と共に暮らした。
その取材内容はNHKハイビジョン特集、NHKスペシャル、劇場版にまとめられ、
劇場版はDVDでリリースされている。
ヤノマミの暮らしが正しいのか間違っているのか、私たちの暮らしが正しいのか
間違っているのか、そういうことではない。
ただ、彼らは彼らで、私たちは私たちだ。
ヤノマミたちはヤノマミとして、ただ、そこに、ある。