本日は ◆さわやか、スポーツ系
佐藤琢磨終わらない夢─F1との決別、もうひとつの戦場ヘ
松本 浩明 ¥ 1,500 三栄書房 (2010/11/30)
佐藤琢磨。この人に対する私の印象は「うさんくさい笑顔の人」
というものだ。
好青年である。アスリートらしい鍛えた体。さわやかな口元。発
言はいつも前向きで、ファンを思いやるものばかりだ。
だが目が笑っていない。笑う形をしていても、いつもどこか、チ
ンピラみたいな凄みが残されている。ああ俺、いつでもやる気な
んだぜかかってこいよ、ボッコボコにしてやんよ。そう言ってい
るように見えて仕方がない。ファイターの目なんだよ、こええ。
世の中には、才能だけではあがっていけない場所がたくさんある
と思う。運も必要だ。そしてこの人には、なんだかんだで運が足
りない場面があるような気がする。
佐藤琢磨は2001年、ジョーダン・ホンダでF1デビューを果たす。
02年には鈴鹿で5位入賞。輝かしい実績を残したが、08年には所
属していたチームが解散し、シートを失ってしまう。
09年にはトロロッソ・チームへの加入が決まりかけたが、ロシア
人ドライバーに敗れて、F1に戻ることはできなかった。
なんや、難しいことがあるらしいわ。ドライバーになるには、政
治力や資金力がいる。スポンサーの後ろ盾があって、チームに経
済的に貢献できないと、雇ってもらうことはかなわない。
ロシア人ドライバーの背後には、潤沢なロシアマネーが控えてい
た。技術は決して劣らなかったと自負している。
カーレースの業界では、やっぱり花形はF1だ。銀座の寿司屋みた
いなもんだ。その厨房に立つことが許されなかった佐藤琢磨は、
活躍の舞台をよそへ移すことを決意する。
アメリカのインディーカーだ。どうしてもレースに出たかった。
場所は変わっても、先の例なら地方に下っても店を変えても、一
線で働くことを忘れたくなかったのだ。
KVRTというチームが彼を受け入れた。急だったので、準備が十分
にできなかった。初戦のブラジルでは、スタート直後にスピンし
てリタイア。悔しい結果となった。
その後も車の不備による無念のリタイアが続く。波に乗りきれな
い苦しさがあった。
インディーカーにはオーバルコースというレース場がある。競輪
の競技場のように、すり鉢状になったサーキットだ。F1では見ら
れない形状で、琢磨にとっては初挑戦に近いものだった。
とにかく、レースは経験が物を言うようだ。コースの状態、作り、
そんなものを熟知していないといけない。なのに練習の日に、暴
風雨が襲った。誰よりも長くコース上にいたいのに、これも無念。
しかしこの初めてのオーバルコース、カンザスサーキットでは琢
磨は入賞を手にしかけた。4番手、5番手争いに加わることができ
たのだ。
しかも競っていたのは同じ日本人のドライバーである。日本から
来たマスコミは色めきたった。皆の期待を一身に背負い、走り続
けるが、衝突。
死角となっていた、女性ドライバーからのもらい事故だった。
「いい経験でした」と琢磨は語る。「ファンの皆さんには申し訳
なかったけど、手ごたえはあったし、難しさもわかった。手の皮
もむけたしね」
必死でハンドルを握っていた手は、擦り切れて、皮がめくれてい
たらしい。それでも琢磨は「楽しかった」と言い切っている。
ファンの方向け。カタカナが多く、基本的に「これくらいわかっ
てるよね」という、暗黙の了解の下で話が進んでゆくからだ。
レース用語など、詳しい解説は特別にはない。
といって、難解というほどでもない。基本的にはしぶとく、たく
ましく世界で戦う青年の物語、というところだから。
「終わらない夢」ってのはいいタイトルだと思ったよ。世界に飛
び出て挑戦をして、うまくいかないこともあるだろうけど、どう
かいつまでも前を見ていてほしい。