週刊 お奨め本
2010年12月5日発行 第423号
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『刀圭』 中島要
¥1,500+税 光文社 2010/9/25発行
ISBN978-4-334-92730-1
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薬を盛るために使う匙を別名「刀圭」と呼ぶ。
古代中国の貨幣の下端にある孔を「圭」といい、その孔の大きさが薬を量る基準
であったことから生まれた言葉である。
──お前はゆるぎなき「圭」となれ。そこが狂えば、薬も毒になりうるのだぞ。
亡父の言葉を胸に、井坂圭吾は貧乏長屋で医者をしている。
父も貧民救済の医者だった。
ということで、「赤ひげ」系、時代小説。
江戸の貧乏長屋で、ろくに金を取らずに治療に当たる、若い医者。長崎帰りで本
道だけでなく外科の心得もある。
貧しい人々から頼りにされ、それを誇りに感じている。
ヒューマンドラマです。
出だしは。
そんな単純な話ではいまどきの読者は満足しません。
特に発行人のようなひねくれ者は(笑)。
井坂圭吾の父は、「慈悲仏」とまで呼ばれた医者だった。
父の背を見て育ち、誇りに思う圭吾は、当然のごとく、医者を志す。
ところが、阿蘭陀医学を学ぶための長崎遊学も五年が過ぎた頃、父が酒に溺れて
いるとの連絡を受ける。
信じがたい思いで急ぎ江戸へ戻ったときには、父はすで亡くなっていた。…
その頃、タキは貧乏長屋で父と二人で暮らしていた。
長患いの父は、娘に迷惑ばかりかける我が身を疎んじ、鼠捕りを飲んだ。タキは
医者を呼びに走るが、貧乏長屋へは医者は来てくれない。「身の程をわきまえろ」
あからさまに見下されたタキの、「あんたたちは医者なんだろ! 病人を助ける
のが仕事じゃないか!」声を、圭吾が聞きつける。
娘の長屋へついていって治療に当たった圭吾は、そのまま長屋に居つき…。
タキと、しっかり者の隣人おしまの尽力で、開業にこぎつけた圭吾。
満足に薬礼が期待できない貧乏人相手では、薬種問屋に代金を払う当てもない。
あちこち回った挙句、融通のきく、ある時払いをきいてくれる薬種問屋「千歳屋」
をみつけた。
齢二十三にして天涯孤独、しかも敬愛する父の死に目に立ち会えなかったせいで、
圭吾は親不孝者が大嫌いだ。
ところが、世話になっている千歳屋には放蕩息子がいる。幼い頃から病弱で、「お
前は生きているだけでいいんだよ」と言われつづけて育った生三郎は、吉原がよい
で月に何百両と散財する。それだけでも業腹なのに、生三郎の敵娼の花魁が「たか
が医者の分際でえらそうに」とケンカを売ってくる。
ついには生三郎を怒らせ、千歳屋との取引が止められてしまった。
それまで圭吾を頼りにしてきた患者たちは、圭吾が千歳屋の跡取りを怒らせたせい
で薬をもらえなくなったことで、圭吾を責める。
──あたしら貧乏人のために下げる頭はないってことだろ。
貧乏人を救いたいなら、金持ちにへつらうことは避けられない。何事も金主あって
の世の中なのだ。
圭吾の胸に迷いが生じる。
いったい何のために、私は治療を続けるのだろう。
患者が頭を下げるのは、ただで薬をもらえるからだ。
> 「人が頭を下げるのはお金をもらうためだもの。タダで治療をしてやれば、いつ
> でも威張っていられてさぞ気分がいいでしょうけど」(141頁)
「赤ひげ」でも、貧乏人からは金を取らなくても、金持ちからは高額の謝礼をも
らう。入金の当てがなくては施しはできない。そこんところをちゃんと段取りで
きないところが、青二才。
という、理想と現実のあいだで煩悶する若者を描いているわけで、古今東西、い
つの世も若者が陥りがちな罠ではあります。それを青春だとまぶしく感じるか、
青臭いと苦々しく感じるかは読み手次第。
物語はこの後、永代橋崩落事故(文化四年)を絡ませ、出奔した父の後妻やら千
歳屋の番頭の画策やらケチ衛門やら幇間の善八やら、なにやらかやらと圭吾はふ
りまわされていくわけですが…。
> 崩落事故の始末を終えると、圭吾は再び医者として診察を始めた。[…]
> 問答無用の生死の境を垣間見たことで、圭吾は己の悩みがいかに卑小かを思い
> 知った。(164頁)
青年は挫折を経て、成長する。
これが長編デビュー作という中島要。
新人にしてはしっかりした構成力で、読ませます。
期待の新人といえましょう。